「気づき」という何気ない瞬間。
たった一つの静かな瞬間ですが、何年経っても心に残り続けることがあります。
今日みなさんとシェアしたいのは、みんなから「パパ」と親しみを込めて呼ばれ続ける、私の父と共有した気づきのストーリーです。
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どこにでもある、平凡な一日。
特別でもない、普通の空。
パパはその日、少し早めに仕事を終えて帰路についていました。
線路の上にかかる歩道橋を渡っていた時のこと。
ふと見ると、数人の小学生たちが、次の電車を心待ちにしながら線路を見つめていました。
目を輝かせ、全身でその瞬間を感じようとしているように。
やがて、各駅停車の電車が近づいてきました。
少年たちは大きく手を振り、全身で合図を送りました。
届くかどうかも分からないけれど、とにかく、思いきりの「見て!」を込めて。
すると突然、電車の汽笛が鳴り響いたのです。
大きく、はっきりと、間違いなく彼らに「こんにちは!」というように。
空にこだまするような、汽笛は、運転士からの「見えてるよ」の合図だったのでしょう。
少年たちは大喜び。
跳ねて、叫んで、その場でくるくる回りました。
「汽笛、あの子たちのためだったんだよ」
その日の夜、パパは嬉しそうな笑顔でその話をしてくれました。
「なんて優しい運転士さんなんだろうって思ったよ」と言いました。
でも私が心を打たれたのは、その出来事だけでなく、それを語るパパの表情の柔らかさでした。
どれほどその小さな一瞬が、彼の心に温かく残ったのかが伝わってきて、運転士のやさしさも、子どもたちの喜びも。パパの感動も。全部合わせて私の胸にも響きました。
あれから二十年以上の月日が流れましたが、あの話は今でも私の中にあたたかく残っています。
そして今日。
友人とお蕎麦を食べながら、ある話を聞きました。
それが、この記憶に、また新たな視点を与えてくれたのです。
友人が最近聴いたというラジオ番組では、「ありがとうストーリー」と題して、リスナーから寄せられた感謝の手紙が紹介されていたそうです。
その中の一通は、
ある電車の運転士さんからの手紙でした。
「私は東京で列車の運転をしています。
毎日、何百人もの命を運んでいます。
この仕事が大好きですが、時々、責任の重さに押しつぶされそうになる日もあります。
そんな日のホームで、必死に手を振る子どもの姿を見かけることがあります。
その純粋さが目に入ると、
その瞬間に心が動かされるのです。
なんだか、言葉にならない勇気をもらうのです。
自分がなぜこの仕事をしているのかを、思い出すのです。
だから、また運転席に戻ることができる。
ありがとう。手を振ってくれて。
君にとっては、ただの一台の電車だったかもしれない。
でも私にとっては、その瞬間がすべてでした。
ありがとう、小さな子。
君は、とても力強い、大切な存在だよ。」
そんな話を聞いて、私はハッとしました。
これまで、何百回東京で電車に乗ったことがあったのでしょう。
それでも、運転士さんの目線で物事を考えたことがなかったと気づかされたのです。
だから、私も今、言いたいです。
ありがとう、運転士さん。
日々、私たちを安全に運んでくれて、ありがとう。
大変な責任を背負ってくれて、ありがとう。
他にも、きっと
気づかぬうちに、すれ違っているたくさんの「ありがとう」があることでしょう。
私たちの生活と並走しながら、一見交わらないはずの人生が、
ふとした瞬間、そっと交差する。
そんな瞬間の「ありがとう」を見逃したくない。そう思いました。
この世界には、どれほど多くの見えない「ありがとう」があるのでしょうか。
気づかれないまま、語られないまま、通り過ぎていく瞬間の方が多いことでしょう。
パパの言葉は、やっぱり正しかった。
小さなやさしさに、「すべて」がこもっている。
そして、小さな種と大きな樹木。
その本質は、案外変わらないのかもしれません。
だから、
ささやかなやさしさに、ひとつずつ気づき、集めていくことで十分だよね。
できるかぎりたくさんの「ありがとう」を、分かち合うこと。
それだけで、充分。
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あなたのこの先の時間が、少しでも穏やかでありますように。そんなひとときのお手伝いができたら嬉しく思います。マインドフルネスや瞑想に興味があれば、MAE Yのサービスも、ぜひのぞいてみてくださいね。