涙の夜と、感情を感じきるということ

涙の夜と、感情を感じきるということ

昨晩、英語版ブログのこの記事を投稿したら、大学時代の親友がLINEをくれました。

「まだ途中までしか読めてないんだけど、ガン泣きしちゃって止まらない。当時のめいのことを覚えてるから…」と。記事は、母が47歳のときに発病した非典型的アルツハイマー型痴呆症と、当時の私の想いについて。母の症状が始まったとき、私はまだ17歳でした。だから、私の大学時代の4年間は、母の病状も、家族の関わり方も、私の心も人生も、最も大きく揺れ動いたときだったのです。

友人は今、80代半ばの父をもち、最近、そのお父様のご容態がじわじわ変わりつつあるそうです。「めいは本当に若すぎたよね」と、当時大学生だった仲間たちがわかりたくてもわかることのできなかった壮絶な事態を思い出しながら、しばらく会話は続きました。

「じゃあね、またね。連絡ありがとう。おやすみ」

あたたかな会話が終わりを迎えようとした途端、胸の奥の見えないダムが崩壊し、勢いよく涙が溢れました。悔しくなった。ママのことを想い、嘆きました。そして、何より、あの頃の自分から奪われたイノセンスを嘆きました。みんなと同じように、何も考えずに遊べなかったこと。母の病気によって私の人生が一変したことに、どこかでやっぱり悔しさが残っていたのです。久しぶりにヒックヒック言うまで泣きました。

あまりにおさまらないので、洗面所へ行ってフェイスタオルを取ってきて、寝室のベッドに戻りました。タオルを口元に押し当てながら、再び、声を出してわめきました。

気持ちが湧いている以上は、抑えても仕方がない。闘っても仕方がないことを知っているから。

感じているのであれば、内に秘めず、出してあげなければ感情の巡りが滞ってしまうことを知っているから。
「あぁ、私。まだママのことを嘆ききれていなかったんだ。長いこと堪えて頑張らないといけなかったから、まだ心の奥に封じ込んだまま、感じきれていない悔しさが残っていたんだ」
自分でも、少しびっくりしました。

母のことも、当時の体験も。何度も話したり書いたりしているし、普段の暮らしでは思い出すこともほぼなく、解消しきったつもりになっていました。

同時に、この夏の私は、何か深いところの緊張や強張りがじんわり解けていくような、最もやさしい癒しのプロセスの中にいることにも気づいていました。いつにも増して自分にやさしくなれている分、これまでは許されなかった嘆きや悔しさまでが、「今なら出られる」と、左右前後、安全確認をしてから顔を出してきたかのように。

それだけ、大人になってから子どものように素直に泣きわめくことは、なかなかのハードワークです。「できるものなら避けたい」と感じることも、とてもよくわかります。

でも今の私は、一番ビクついている、奥にしまい込んだ感情ほど愛を必要としていることも知っているのです。

そして、どんな感情が顔を出しても、今の自分はそれを許し、認め、受け入れ、抱いてあげられるようになりつつあります。

「お疲れ様、わたし」

長い間、奥のほうに閉じ込め、しまい込んでいた気持ち。まだいたんだね。

「もう大丈夫だから。安心してね。泣いていいからね。出てきて、いいよ」

そんな完全受容を、言葉ではなく、理性でもなく。
時間でもなく、理屈でもなく。

ただただ、じっくり、自分に捧げました。


最近は本の出版もあり、多くの方からお便りをいただきます。

「実は、離婚を考えているけど、一歩が踏み出せません」

「離婚裁判の真っ只中です」

「今、親の介護をしながらヨガの練習を続けています」

「過去のトラウマが忘れられません」

「どうしても子どもと不仲です」

「自分の本心が、わからなくなってしまいました」

「本当の気持ちを見ることが怖いです」


言葉では説明しきれない想いを抱えたまま、また答えどころか次のステップさえ見えないまま、そんなことを私にシェアしてくださいます。

わずかかもしれないけれど、どこかで「この人には言ってもいいのかも」って、私を一つの“セーフスペース”として選んでいるのかもしれません。
できることなら、一人ひとりの隣に座り、手を握り、必要なら抱きしめて、夜明けまで泣かせてあげたいです。

みなさんの想いに、多大な重たさが感じられます。責任も罪悪感も、憤りや憎しみも、悔しさやわからなさ、不安や切なさなど、“できるものなら避けたい、嫌な感情”がいろいろ混ざっていることを感じます。


今まで、親も学校も、社会も、そういった“嫌な感情”を感じることは「いけないことだ」と教えてきました。

「静かにしなさい」

「我慢しなさい」

我慢できたら「えらいね」と褒められて、感情を表したら「迷惑だから黙りなさい」と強いられる。


例えば、流産したときに「また頑張ろうね」と言ってもらうことだって、もちろん善意からの励ましの言葉だけど…。まだ未処理で感じきれていない、どうしようもない悲しみを覆うように、前に進まなければならないような空気をまとわせてしまうこともあるでしょう。私たちは、そんなふうにして「嘆くこと」「悲しむこと」をどこかで急いで避けて通ろうとしてしまっています。

でも、そうやって封じ込めることは、親にとっても、学校にとっても、社会にとっても都合であって、「あなたにとって」本当にベストなのでしょうか。それは本当にやさしいことだと言えるのでしょうか。
きっと「あなたにとって何がベストなのか」を深く観て傾聴する「前に」、ただどうしたらいいのかわからないまま、あたふたしてしまい、大きな感情のエネルギーに蓋をして片付けようとしてしまうのだと思います。

だから私は伝えたい。

あなたは、彼らができなかったことを、自分自身にしてほしい。
彼らからもらうことのできなかった大きな受容の愛を、自分自身に捧げてほしいのです。

子どものように素直に泣かせてあげること。
「いい大人なんだから」と止めないこと。

時間をとって、場所をつくって、自分自身の“セーフスペース”を用意し、滞ったまま凍らせてしまった感情を感じきってください。それだけのやさしさを、自分自身に与えてあげてください。


理性と感情。その両方があって初めて人は全体として機能します。「感情を感じきるなんて、なんて恐ろしいこと!」と、理性は「わからないこと」「コントロールできないこと」を怖れるけれど。

「この感情を感じたら、立ち直れなくなりそうで怖いです」

このようなコメントをくださる方も多くいます。それだけ数多くの方が口を揃えて言うほど、実はこれって典型的な「恐れ」の働きなんです。

「ほ〜ら、怖いぞ〜。だから絶対、避けておいた方がいいぞ」 by みんなの恐れ

そうやって「恐れ」は「近づかないようにビビらせるテクニック」を使って威嚇してきます。その声を真に受けてしまうと、人は怯んだまま本当の気持ちを感じきることから目を背け、お酒に逃げたり、忙しさに逃げたり、スマホに逃げたり。とにかく見ないようにすることに必死になります。無視していたら、いつかはなくなると考えるのでしょうか。

でも、そんな対応は本当に自分にやさしいのでしょうか。
それって、セルフ・ネグレクトだと思いませんか?


体験でしかわからないのですが、「感情」って、一つ残らずすべて一時的なのです。…蓋をして見ないふりをして封印さえしていなければ!

だから、あなたには自分を泣かせてあげてほしいのです。
本当の気持ちにチャンスをあげてください。“試しに”でもいい。
感情を抑えず、感じきることでしか味わえない、本当の心のリフレッシュを自分に与えてあげてください。

泣くことでも、わめくことでも、枕に怒り散らすことでも。感情をフルに味わいきって初めてわかることがあります。

泣き止まない夜はありません。
感情を感じきった先に、そのエネルギーは必ず次のチャプターへと動き出す気力に変わります。

P.S. 昨晩ガン泣きした私は、おかげで今朝はとってもお腹が空いて目覚めました。こうして「みんなに伝えなきゃ」というパワーまで湧いて、まずは朝一番、ペンを取った次第です。
書き終えたら、何を食べようかな? 自分が一番食べたいものを、自分に一番やさしいように食べようと思います。大好きなグラスフェッドバターをたっぷり塗って。


Love,Mae


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「感情との付き合い方 完全版」 
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