こんなに頑張っているのに、ダメだった。
ちゃんとしているはずなのに、限界だった。
いや、限界なんてあってないようなものだと思って、限界なんて到底すぎているのに、限界を感じること自体を自分に許していなかったように思います。
うまくやっているように見える時ほど、案外、内側はボロボロだったりします。
長男がまだ1歳だった頃のこと。
生後6ヶ月で離婚を決意し、同時期に父は前立腺がんが発覚し、治療を開始。自分のことだけではなく、小さな息子と大切な父の存在に挟まれるように、誰にも弱音を吐けないまま、私は、ただ踏ん張っていました。
そんな状況だったので、産後大して休まないまま、新たな朝ヨガのクラスを始めました。好調なスタートで需要も多く、早速6ヶ月ほどのウェイトリストができるほど。
外から見れば、嬉しく、ありがたいほど順調に見えたことでしょう。
毎日ヨガと瞑想を続け、心と身体の整え方を伝える立場にいました。
でも内側は… 慢性的な寝不足。
それが「異常」だとも思っていませんでした。
とにかく、この身体が動きさえすればいいと思っていました。
夜、丸々とした1歳児にたっぷりおっぱいを飲ませて寝かしつけるたびに、どんどんげっそりしていく私。早朝のまだ暗い時間にまた起きては、繰り返す、のサイクルでした。
とくに、パートナーがいないなかで、MAXに働きながらの赤ちゃんの寝かしつけには、何度も泣きたくなりました。やっとウトウトしたと思ったらまた泣き、やっと抱っこがずっしり重くなって、しっかり寝てくれたと思ってベッドに置くと、パチっと開かれる純粋な赤ん坊の目線。それはまるでホラー映画のワンシーンのように当時の私には感じられました。笑
だって、早く寝てほしかった。
私は、今夜も一緒に寝ることなんてできなくて、さっさと寝てくれたら、またデスクに戻って仕事の準備でパソコンを開きたかった。
そんなある夜、同じことを何度も繰り返した末。
私は、ブチ切れてしまったのです。
赤ちゃんとはいえ、片腕にのしかかる耐え難い重みを我慢したまま、一生懸命に早く寝かせようと、薄暗い廊下をフラフラと歩きながら、やっと寝た... と思ったら、
パチっ と。
息子の目が開いた瞬間、イラっとした勢いで、廊下の白壁に拳を当てていました。。
運悪く、壁の弱いところだったのか…。
見事に、バキッと穴が開いてしまったのです。
ガーン。賃貸😱なのに。
えっ?!そんなに強く叩いたつもりはなかったのに…
と思っても、もう後の祭り。
幼い息子の夜中のお目目と同等に、確かにカパッと開いた壁の穴が、ダメージを物語っていました。
ショックとしか言いようがありません。
でも、あの瞬間に一番ショックだったのは、壁に穴を開けたことだけではなかったのです。
私… 何をやっているんだろう?
ヨガの先生なのに。
母親失格どころか、人間失格じゃない?
そんな思いが、全身を包み込みました。
“自分という人間が壊れた”感覚のほうが近かったと思います。
恥が強すぎて、長いこと誰にも話せませんでした。
家族に話しても、笑われて終わってしまい、
余計に、自分を責めてしまいました。
でも、今振り返ると、おかしかったのは、私の在り方や振る舞い以前のこと。
離婚、父の病気、引越し、仕事の立ち上げ。
産後、まだ回復中の心と身体のはずなのに、人生の荒波が重なるなか、
それでも一人で「ちゃんとやらなきゃ」と抱えていたこと。
今、改めて考えてみたら、そっちの方がよっぽど”おかしくてアンバランスなこと”だったのではないかと思うのです。
親になったからといって、オールマイティになるわけではない。
ヨガの先生だからといって、心身の限界が消えるわけでもありません。
人は、思っているよりずっともろい生き物なのかもしれません。
壁に開いた穴は、私の中にあった「絵に描いたような子育てができていない自分」に向けた、行き場のない感情だったことでしょう。
本当だったら、こんなこと、何年経っても人に言うことではないのかもしれません。
でもね、こんなに長年ヨガや瞑想に染まり尽くしている私にでも起こることだったら、
きっと、これを読んでくださっているどこかの誰かも、
知らぬ間に、取り返しのつかないほど切羽詰まってしまったような、
行き場のない心境を味わっている方が、ほかにもいるのではないかと思うのです。
もし今、そんなつらさを抱えている方がいたら。
そんなに疲れちゃったんだね。
疲れって、身体的なものだけではありません。
精神的な疲れ、感情がついていかない疲れなど、色々あります。
まずは、「一人で全部抱えなくていいよ」って言ってあげたいです。
誰かに助けを求めてもいい。
立ち止まってもいい。
一度、自分に戻ってきていい。
親もまた、育っている途中なのだから。
吉川めい
あの夜の私に、
そして今、ひとりで踏ん張っているあなたに。