「大丈夫」が上手になりすぎた、あなたへ。

「大丈夫」が上手になりすぎた、あなたへ。

強く生きてきたことと、悲しみを乗り越えたことは、同じではなかった。


先日、iPhoneのフォトアルバムを振り返り過去の写真を探していたとき、不意に母が亡くなる前に書き残した手紙のスクショに出会ってしまいました。

遺書というほど正式なものではないけれど、母が47歳で脳神経系の難病を発症した頃、まだ頭がはっきりしているときに書き残した、ワープロ1枚の手紙。自分が亡くなったあとのことや、葬儀についての希望が淡々と箇条書きされていました。

全体的にビジネスライクに淡々と綴られた手紙でしたが、その最後には、こんな言葉が残されていました:

「私は45歳の時に離婚をしました。子供達にとっても、私にとっても突然の悲しい出来事でした。このような人生になってしまったことを4人の子供達に心からおわびします。特に、15歳めいには計り知れない心の傷を負わせてしまったことを謝ります。ママには自分も被害者であったという気持ちが強く、幼いめいの心を思いやる配慮が足りなかったことをとても後悔しています。めい、ごめんね。」

いつ読んでも、胸に刺さる言葉。
けれどその夜は、突然、抑えられない涙が溢れました。

手紙は何ひとつ変わっていない。
なのに、なぜ今、何かが変わったように響いたのでしょうか。


長い間、感じきらないまま生きてきた悲しみ

両親が離婚したのは、私が14歳から15歳になる頃のこと。

母とも父とも一緒に暮らすことのできない環境になり、私は年の離れた姉のところにおよそ2年間住まわせてもらいました。その後、17歳のときに母が難病を発症し、私は母の暮らしを支えるために、再び母の家へ戻りました。

自分で振り返っても「よくあの頃壊れずに耐えたな」と思うことがあるのですが、もしかしたら壊れていたのかも… とも思うのです。内側は壊れたまま、外側では必死に『大丈夫』なふりをして、なんとか生きていたのでしょう。特に頼れる人はいなかったから、気がつけば私は、自分の面倒を自分で見ることが得意な人間になっていきました。


「大丈夫」が上手になった私

自分で考え、自分で決め、自分で行動する。
最後は、自分でなんとかするしかない。
そうやって実際、なんとかしてきました。

でも、最近になってやっと気づいたことがあります。
選べる選択肢のなかで、自立することを選ぶことと、誰にも頼れないと思っていたから、自立するしかなかったこと。この二つは、似ているようで、まったく違います。

自分の足で立つことを選べる人と、自分の足で立っていなければ生きていけないと思う人では、内側にある自由が、まるで違うのです。

私がずっと聞きたかった言葉

あの夜の涙が、これまでと違ったのは、もっと深いところにある静かな感情に気づかされたからでした。

お母さん、知っていたんだね。
私が、どれほど傷ついていたか。どれほど悲しかったか。
ずっと、誰も見てくれていない、気づいてくれていないと思っていたけど、

お母さんは、知っていたのです。
けれど、あのときは寄り添うことができなかった。

きっと、これまでの私は、『ひとりで大丈夫』でなければ生きてこられなかったから、これまでの私では、母の言葉を何度読んでも、涙することはあっても、心のいちばん深いところまでは届かなかったのだと思います。

自分を守るために、知らぬ間に心を固くしていたのかもしれません。

だって、母が私の苦しみを知っていたのなら、「どうして助けてくれなかったの?」そんな問いが残ってしまうことも耐えがたかったから。もう、十分だったから。

あの頃の私は、それほど切実に「誰か」を必要としていたのです。


手紙は変わっていない。変わったのは、私だった。

15歳の私が感じることのできなかった悲しみを、今の私自身が、ようやく受け取れるようになってきたのかもしれません。

悲しみというのは、不思議なもの。
時間が経てば、自然となくなるわけではない。
その出来事を理解したからといって、感じ終えたことになるわけでもないのです。
私たちは、悲しみを抱えたままでも、ちゃんと生きていけることが出来てしまいます。

器用に心の奥にしまったまま、学校へ行き、仕事をし、恋をして、結婚し、子どもを育てる。
でも、生きてこられたことと、悲しみを感じ終えたことは、同じではありません。

手紙の最後の言葉は、今の私には以前とはまったく違うように響きました。
もしかしたらそれは、もう「大丈夫な私」でいなくてもいいと思えるようになってきたからなのかもしれません。

母を理解しようとする大人の私ではなく、母にわかってほしかった15歳の娘として、ようやくその言葉を受け取れたのかもしれません。

 

吉川めい


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